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事案解決と感情のケア by井上瑞季


1 自己紹介

はじめまして。金沢弁護士会の井上瑞季(いのうえみずき)と申します。
出身は九州地方で、大学と大学院は東北地方の学校に通っていましたので、金沢は実は数年前まで縁もゆかりもない土地でした。ご縁があってこの土地で暮らすことになり、北陸地方の雨の多さと、海鮮の美味しさに日々驚きつつ、同じ単位会の先生方や依頼者の皆様に支えられ働いています。

主な取扱分野は交通事件、離婚・相続事件、労働事件などの、いわゆる一般民事が中心ですが、最近は、依存症の方の刑事事件や少年事件など、継続的な支援を必要とする方に対する弁護活動などにも興味があります。


2 弁護士の役割

さて、依頼者が弁護士に対して求める役割とはいったい何でしょうか。
弁護士は法律問題の専門家であり、依頼者のトラブルに対して法的な解決を実現していくということが求められていることは言うまでもありません。
しかしながら、実際に業務を行っていく中で、弁護士の役割は、依頼者に法的な知識を提供したり、裁判に勝つための書面を作成することだけでは不十分なのではないか、と思うようになりました。

たとえば、弁護士として業務を行う中で、示談や訴訟等の場面において、弁護士にとって「妥当な解決」と思われる内容であっても、依頼者が感情的な面で納得できずそれを受け入れない、という場面はよくあります。

弁護士になったばかりの頃は、「どうして分かってもらえないのだろうか。」と裏切られた気持ちになることもあり、そのような場合は「合理的な結論を受け入れてほしい弁護士」と、「(自分にとって)理不尽な解決を受け入れられない」依頼者とが対立してしまい、事件が終わっても依頼者の不満が収まらないということが起こります。

弁護士は法的知識を提供するという役割は果たしているわけですが、依頼者にとっては、法的に合理的な結論であっても、本人にとっては理不尽で受け入れがたい内容なのですから、そのまま説得を続けたとしても、依頼者は「示談(や和解)を弁護士に押し付けられた。」と思うだけで、納得のいく解決には至りません。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

このような場合、実際は、依頼者が弁護士の話を理解できていないというより、頭で分かっていても合理的な決断を選択できない「何か」が依頼者の奥底にある、という表現が正しいです。そして、その「何か」を依頼者が理解し、障害を自ら乗り越えることができたときに、初めて依頼者にとっての納得のいく解決がもたらされ、その依頼者は前に進むことができるようになります。ここで重要になるのが、弁護士の依頼者に対する感情ケアのプロセスです

今日は、依頼者が納得する解決を行うために必要な感情ケアのプロセスとは何か、コーチングを学んで気づいたことをお話できればと思います。

3 感情ケア~「傾聴」と「承認」

依頼者から相談を受ける際、いわゆる「怒っている」依頼者はよくいらっしゃいます。怒りというのは一種の防御反応ですので、悲しみや不安の発露であることがほとんどですが、一つ言えるのは、自身の現状を受け入れ切れていなかったり、自身の感情の整理ができていない状態であるということです。そのような状態では、いかなる選択肢を与えられても、たとえそれが法的には不利なものでなかったとしても、納得してそれを受け入れることは困難です。

そのような際に必要なのが、依頼者の感情のケアです。怒りの感情に支配されている依頼者がすぐに冷静になることは難しいですが、「〇〇さんはそのとき、悲しい気持ちになったのですね。」「今、不安な気持ちを抱えているんですね。」と言って気持ちを代弁すると、「そうなのです。分かってくださいますか。」という反応が返ってくることもあり、そのプロセスを繰り返すことによって依頼者は少しずつ冷静な感情を取り戻していきます。これがいわゆる「傾聴」で、すべての感情ケアの基本となる重要なスキルだと思います。

「傾聴」によって依頼者の心の状態が分かってくると、依頼者の判断力の障害となっている「何か」も少しずつ見えてきます。依頼者も、時間が経つにつれ気づかなかった自分の気持ちを知ることになり、「絶対にこの解決を受け入れたくない。」という状態から、「現状のこの解決を受け入れるべきであることは頭ではわかっているが、気持ちのせいで今一つ踏ん切りがつかない」という状態に変わります。そのようなときに、依頼者の背中を押すために必要なのが「承認」です。

「承認」というと、上の立場のものが下の立場のものを認めてやる、というような上から目線の印象に感じるかもしれませんが、実態は違うと思います。ニュアンスとしては、「励まし」や「応援」に近いでしょうか。

以前受任した依頼者で、相手方に対する悪感情のため示談案を受け入れるかどうかでずっと悩んでいらっしゃった方がいました。私は「私はずっと〇〇さんがこの事件と向き合い続けてきたのを見ていました。この事件から逃げずに向き合い続けてきた〇〇さんなら絶対に最善の選択ができると思っています。」「この決断は本当に難しい決断だと思う。」「私はあなたに損をしてほしくない」と伝えた上で、「今すぐに決める必要はないし、少しでも迷いがあるなら何度でもお話させてもらいたいので、決まったらまたお電話いただけますか。」とお伝えし、電話を切りました。

後日、依頼者からは「色々と考えたが、先生とお話していくうちに、示談案を受け入れることにした。」「自分も事件のことばかりを考えているのもつらい。もう先に進みたい。」「色々と相談に乗ってくれて心強かったです。ありがとうございました。」とのお電話をいただきました。受任時からずっと相手に対する怒りが収まらなかった方でしたが、現状を受け入れた上で「先に進みたい。」と言ってくださったのが印象的でした。法律では解決できない現実への、一種の諦めのようなものがあったことは否定できません。しかし、諦めるということも前に進むために必要なことなのだと思います。法律は当事者にとって必ずしも完全なものではないからです。

このように、依頼者が納得のいく解決をするためには、法的知識だけではなく、弁護士による感情ケアが不可欠です。そして、感情ケアのためにできることの基本となるのが「傾聴」「承認」です。

弁護士が依頼者に確実に断言できる唯一のことは、どんな事件でもいつか終わりが来る、ということです。受任してから解決に至るまで弁護士と依頼者のコミュニケーションは、依頼者が事件の終わり(それがどんな内容であっても)を受け入れるためにあるのだと思います。依頼者と弁護士との関わりは、依頼者の長い人生のほんの一部にしか過ぎませんが、この件やコーチングの勉強を通して、私は依頼者が過去を乗り越えて前に進んでいくための良きサポーターであり続けたい、という思いが一層強くなりました。

4 これからの弁護士に求められること

今日は弁護士業務に不可欠な感情ケアについてのお話をさせていただきましたが、まだまだ実際はうまくいかないケースも多々あり、毎日、依頼者のよりよい解決のためにできることは何か、模索する日々です。コーチングの重要なスキルには「傾聴」「承認」のほかに、「質問」を通して相手の能力を引き出すというものがありますが、今回この記事を書いてみて、まだまだ自分の言葉で語れるほど、適切な問を設定することができていないなという課題も自覚しました。

依頼者が抱えるトラブルには一つとして同じものはなく、それぞれが望む幸せというものも多様化しています。自分だけの枠に囚われたり、表面上のコミュニケーションスキルだけに頼りすぎたりすることなく、目の前の依頼者と向き合うこと、依頼者の力を信じることを意識し、これからも弁護士として研鑽を重ねていきたいと思います。
 

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