ウェルビーイングと弁護士
中原:今日は、コーチングと関連の深い、ウェルビーイングについてちょっとしたミニレクチャーをします。ウェルビーイングは最近ではひとつのトレンドワードとも言われます。
実際、いまのトレンドを探るときにお馴染みのツールはGoogleトレンドです。ウェルビーイングという言葉をそこで検索すると、この5年でほぼ右肩上がりで検索数が増加しています。つまり、ここ5年程の間で、多くの人が、「ウェルビーイングとは一体何だろう?」と興味を持って、持続的に検索している、言葉の意味を探しているということになります。
ウェルビーイングブームのきっかけと幸福のバラドックス
ウェルビーイングが語られ始めたきっかけはいろいろですが、ひとつには「幸福のパラドックス」があります。日本はもちろん、世界中で寿命は大幅に伸び、また、GDPを始めとする経済成長も遂げてきました。
一方で、人々の幸福度はあまり上がっていません。大学や政府、さまざまな研究機関が幸福度、ウェルビーイングに関する調査を行っていますが、特に日本人は幸福度が低く、また、寿命や経済成長などの、客観的な改善があっても、幸福度が上がっていないことが知られています。この乖離(かいり)を幸福のパラドックスと呼びます。
弁護士なら、裁判などで客観的に勝っても、必ずその人が幸せになっているとは限らないという実感がありませんか。たくさんお金を取れば取るほどその人が幸せになっているかというと、その関連性はそれほど確実ではないのではないでしょうか。私自身はそのように感じてきました。お金や勝敗と人の幸福度は必ずしも比例するわけではありません。
ウェルビーイングに定義はあるのか
弁護士といえば「定義」が気になるところですけれども、ウェルビーイングの定義はさまざまな機関が出しています。もっとも有名なのはWHO世界保健機構ですね。
「身体的、精神的、社会的に満たされた状態」というものです。また、同じ国際機関のOECDは、「個人的、社会的に、より良く幸せに生きること」などと定義しています。
ちなみに、私自身、そして、私が運営しているコーチングスクールでは、「自分と他者の幸福の循環を体感している主観的な状態」と定義しています。このように、ウェルビーイングは、一人一人が自分の中で形づくる、定義することができるものなのです。皆さんにとっては、どのような状態がウェルビーイングでしょうか?
ウェルビーイングが産官学で広まりつつある
ウェルビーイングに関する知見は研究の広まりは目覚ましいものがあります。産官学すべてに広がっています。例えば、内閣府、2021年の骨太の基本方針では、「Well-being」という言葉が出てきたのです。ですから、政府の全省庁の各種基本計画には、ウェルビーイングのKPIを設定することと決まっているのです。実際、全省庁が集まってウェルビーイングの基本計画会議というものが行われています。
そして、企業です。企業の経営陣といえば、CEO、COO、CFO、CTOなどが定番ですが、今、CHO、Chief Happiness Officer、CWO、Chief Well-Being Officerというものが企業に設置され始めています。つまり、ウェルビーイングはきれいごとではなく、本当の経営マターになってきています。
そして、もちろん研究もです。ペンシルベニア大学のポジティブ心理学が有名ですが、欧米のほとんどの大学では、ウェルビーイング研究室があります。私自身、イェール大学の「The Science of Well-Being Course」を受講していましたがとても興味深かったです。日本でも、慶應義塾大学、京都大学などいろいろなところで、ウェルビーイング、幸福学の研究が進んでいます。
ウェルビーイング研究や経営が進む理由
そのように幸せの研究や企業での取り組みが進むのはなぜでしょうか。企業も国もウェルビーイングを推進するのはなぜでしょうか。理由は、それだけの効用があるからです。幸福感、ウェルビーイングが高い人は、創造性が3倍高く、生産性が31%も高く、寿命はなんと7年から10年も長いそうです。これは、リュボミアスキーという有名な方の研究です。単なるトレンドやブームではなく、本当に、ウェルビーイングの経営、ウェルビーイングの政治、ウェルビーイングな生き方というところに、ぐっとシフトしてきているというのが実態だと思います。
ウェルビーイングとコーチングの関係
ウェルビーイングに関するいろいろな議論はさておき、今日はコーチングの会ということで、コーチングとウェルビーイングは一体どのような関係があるのでしょうか。実は、これについても研究があります。
ゴーリン教授という人が、ウェルビーイング関係性マップというものを作っています。これはウェルビーイングに関係する項目を山に見立てたマップであり、山が高ければ高いほどウェルビーイングが高まる、効果が高いということを示しています。そして、山が近いほど、お互いに関係性が近いということを示しています。中には、人に優しい行為をする、感謝を感じる、あるいは感謝を伝える、3つの良いことを思い出す、といった自分でできることもあります。これらの振る舞いが幸福度を上げることはよく分かっています。
一方、重要なのは、いわゆる再構築の過程に属するものです。同教授の研究によれば、コーチングによって、自分の理解が進む、あるいは、思い込みや執着などちょっとした思考の誤りが修正される可能性が高く指摘されています。また、希望の視覚化や価値の明確化などもコーチングの効果であり、結果として幸福度が高められるということが注目されています。
弁護士業とコーチング
翻って、われわれの弁護士業というものは、一体何をやっているのでしょうか。一体それとどのような関係があるのでしょうか。
弁護士をやっているとよくわかると思いますが、人生というのは喪失の連続ですよね。例えば、離婚では、家族の地位、配偶者、親としての地位を失うことになるかもしれません。交通事故なら、けがをして、元の身体状態を失ったり、日常を失ったり、時には仕事を失う人もいます。高次脳機能障害で元の性格を失った人も見てきました。そして労働事件なら仕事を失ったり、収入を失ったり、地位を失ったりします。仕事は成長の機会や生きがいであり、そのようなものも失います。そして、何よりも職場という居場所も失います。
つまり、人生は喪失の連続であって、弁護士の仕事の本質というのは、人の喪失に向き合うことなのかもしれません。しかし、喪失があれば、それは再構築があるということです。この喪失からの人生の再構築に向き合うことが、弁護士の仕事の、ある意味本質、重要なコアではないかと思います。
そう思って、コーチングのウェルビーイングのマップを見てみます。コーチングによって、その人の認知が再構築される、新たな希望に基づく認知の再構築が成される、あるいは希望が視覚化されるといったことは、まさに、喪失からの再構築に立ち会うという弁護士の仕事の本質に関わり、効果をもたらすのではないかと思います。
弁護士を始めとする対人支援職にとって、コーチングは相当機能すると考えていますし、仕事を超えて、個人的な人とのつながりを豊かにしてくれるものだと思っています。なぜなら、ウェルビーイングを高める要素そのものだからです。コーチング的なコミュニケーションによって、自分の幸せも目の前の人の幸せも、そして、その先につながっているあらゆる人たち、世界が穏やかに安定していくといいなと、戦争が始まって1年がたつこの春に改めて強く思っています。
以上です。とにかくウェルビーイングファーストで、今年もいい時間を皆さんと過ごせたらと思っています。ありがとうございました。
波戸岡:ありがとうございます。この時間ですごいですね。エッセンスがとても凝縮されていました。ウェルビーイングの注目度が高まってきているなかで、ウェルビーイングとは何か、ということで、身体、精神、社会、そして循環という要素が出てきました。
また、ウェルビーイング効用として創造性や生産性が上がり、寿命も延びるという話もありました。
そして、私たちが今やっている弁護士業は、喪失に向き合い、さらにその人生の再構築に立ち会うという、大変印象に残る意味を教えていただきました。それがまた、個人と社会の幸せ、ウェルビーイングにつながっていくという素晴らしいレクチャーでした。ありがとうございました。