未来にフォーカス-レクチャー編-
中原:本日もよろしくお願いします。前回の続きということで、細切れ感があるかもしれませんが、ご容赦ください。
波戸岡:今日も楽しみです。
中原:前回は、弁護士業務は概ね3つの段階、つまり、➀初回相談から受任までの段階、➁受任からの任務遂行段階、そして➂事件の終了時に分けられるということ、そして、➀初回相談から受任までのところについて、主にチーム論からの説明をしました。
アンカリング
その点に付随して、受任時の「アンカリング」の重要性についてお話します。
みなさまご存知のとおり、どんな事件も最終的に必ず終結を迎えるわけですが、結果に対する納得度は、受任時点のアンカリングが大きく影響します。弁護士にとってもご依頼者にとっても、できるだけ納得のいく形で、そしてスムーズに終結を迎えるほうがメリットが大きいわけですが、実は、この終結時点での納得度や終結までのスムーズさに、受任時の弁護士側の説明が作用するというわけです。
アンカリングは行動経済学の用語で、最初に提示された数字ないし条件が基準となってしまい、その後の判断がその基準により無意識に左右されてしまう心理のことです。なお、最初に提示された数字ないし条件のことをアンカーと言い、アンカーを設置することをアンカリングといいます。
行動経済学はノーベル経済学賞をとったことで広く知られるようになった理論ですね。簡単に言うと、人は必ずしも合理的な行動をしない生き物だ、ということが前提になっています。私自身、高校時代や大学1年生ぐらいでは、合理的な行動をする合理的経済人を前提として経済学を学んだわけですが、実際はそうでもないよね、人ってそんなに合理的な生き物ではないようだね、という流れがきて、では、そうでもないとすれば、人はどんな原理で動いているのだろうか?を分析したのが行動経済学です。
その中の一つの理論が、アンカリングです。弁護士にとっては、いわば期待値の調整の機能を持たせることができるもので、非常に有用だと思います。
例としては、同じ1000円でも、定価が1200円のものが1000円になっている場合と、定価が1万2000円のものが1000円になっている場合、この同じ1000円でも感じ方が違いませんか。定価が1万2000円のほうが安く感じるはずです。しかし、その商品が1000円であるという事実は両者に何ら違いはありません。にもかかわらず、1000円という数字の受け止め方に大きな差が生まれること自体は、合理的ではないともいえるわけです。
これが本当に商品であれば、かつ、その商品の定価というものが真に存在するならば、1000円の方が安いという判断は多少は合理的かもしれません。一方、我々弁護士が扱う数字においては、そもそも商品自体が曖昧で、かつ、定価というものが算定できないものがたくさんあります。典型は慰謝料で、たとえば、何回殴られたからいくらもらえるといった、定型的なものはありませんよね。こういう場合、われわれが最初にどのようにその数字をアンカリングするのかというのが非常に重要になります。同じ100万円でも、50万円しかもらえないと思っていたのに100万円となると「そんなにもらえるの?」となるでしょうし、500万円と思っていたのに100万円だったら「え、それだけですか?納得できません!」となります。これは当たり前のようですが、とても大事です。この大事さは弁護士には切実にわかると思います。
弁護士が最初に依頼者に共有する数字ないし条件がアンカーです。ここをよくデザインすること、適切にアンカリングすることが受任時の大きなポイントになります。このアンカリングが、その後の解決のスピードと依頼者の満足度に直結します。ということは、受任の時点から弁護士がきちんとゴールを描いて、照準を当てて話を進めるということが大事だと思います。
では、よいアンカリングのデザインとはどんなものでしょうか。
もちろん、弁護士としては、期待値は少し下げたいところですよね。客観的にはいい数字または条件であっても、依頼者の期待を下回っていれば、依頼者には納得してもらえないからです。ですから、期待値は少し下げたい、かといってあまりにも悪い見込みを伝えるのもフェアとは言えないでしょう。相談者からすれば、その程度の結果なら弁護士に依頼する価値がないのではないか?とか、そもそもこの弁護士は大丈夫なのか?といった疑問につながる可能性があります。
したがって、個人的には、依頼者の期待値を制御することを意識しつつ、適正な範囲を見極めるのが、その担当分野における弁護士のプロフェッショナリティの発揮なのではないかと思います。適正な見込みを受任時にしっかりと立て、期待値をうまくコントロールしながら、きちんとした実績を勝ち取ってくる。そして、アンカリングがうまくいっていれば、依頼者は弁護士がつかんだ実績の価値を実感でき、解決が促進され、結果として納得度が上がります。特に交通事故などは、この技術が発揮されやすい分野かと思います。
私の実際の事例で言うと、ある交通事故事件、むち打ち案件で6カ月通院という、いわば典型的な軽度追突被害者の方の話があります。この方は、最初に依頼した弁護士さんから、後遺障害14級に該当した場合の計算額、慰謝料とか逸失利益というのを散々聞かされたそうなんです。しかし、治療を終えて後遺障害申請をしたけれども認定されず、ご本人は納得がいかない。そうこうするうちに相手保険会社が、通院慰謝料も一括対応済みだった医療費も、3カ月分しか認めないと言い出して大もめにもめて、結局その時の弁護士を解任されて私のところにいらっしゃいました。
そこで、こちらで事故態様を確認し、通院実績やカルテ内容、MRI画像やらを細かく見てみると、到底14級がつく状況ではありませんでした。で、契約書の段階で、これは後遺障害はとれません、相当因果関係が認められる期間も3カ月とされる可能性も十分ありますと説明し、契約書にその特記事項も書いて、よくよく分かりましたと言っていただいたうえで、受任しました。受任後は、いろいろと手を尽くし、できる限りの一通りの手段は全てやりましたけれど、結果としては、6カ月分を認めさせるのが精一杯でした。この流れもすべて依頼者には共有しており、そのたびに、納得度(受容度)は高まっているようでした。
ですが、最後の段階で、「先生、どうしてもだめですか?やはりあの金額が頭に残っていて、なかなか踏ん切りがつきません。」とはっきりおっしゃったんです。その時に、ああ、最初のアンカリングはやはり強力なものだなと実感しました。この方が、最初の弁護士に、あなたのケースでは3カ月でもギリギリかもしれません、などと言われていたら、その後の流れもご本人の納得度も全然違っていたはずです。結局、むち打ち事故から2年半以上かかっての解決となり、その間、この方はとても不穏で不満の多い時間を過ごされることになったのです。
受任時のアンカリングは、その後の展開に決定的な影響を与える、その点を重々理解したうえで、弁護士として専門的な力量とコミュニケーション力をともに磨くことが大事ですね。
受任後の段階
次に、受任後の段階に移ります。事案の遂行中に依頼者とどのようなやりとりをするかがポイントで、そこで機能するのが良い質問です。ではまず、質問が果たす機能について説明しますね。
一般的に、質問の機能としてはたくさんありますが、いくつかつまんで説明します。
➀新しい視点をもたらす
質問というのは、質問されたところにフォーカスがいきますよね。例えば、皆さん、今年のお花見は行きましたか、お花見はどこでしましたか、などとお尋ねすると、思考がお花見のことに移動しましたよね。このように、質問されたところに思考がフォーカスすることを質問のフォーカス機能といいます。
➁整理機能
質問をすることによって相手は思考が整理されて、それによって思考が深まります。
➂自主性・自律性の発揮
問われると人は自分の頭で考えるので、それはすなわち自立性・主体性を生み出すということになります。
④選択肢の増加
いろいろな質問をすると、それだけ発想が広がります。発想が広がるということは選択肢が増えるということです。
➄自分で決めたという納得感
様々な選択肢が出てきたら、ご自身はどうしたいですか?という質問が有効です。それを考えることによって、自分でその選択に関与したのだと、自分の意思で決めたのだというプロセスを体感・実感していただくことができます。これは、コーチングの大前提である、答えは必ず本人の中にあるという理念を実践しているということにもなります。
弁護士業務でも、こうした質問の機能を活かすことで依頼者の納得感や本来の力を引き出すことができます。依頼者さんは事件で頭がいっぱいになっていますので、視野が狭くなっている可能性があります。ですから、その視野を少しぐっと広げる、あるいは、ご自身の問題である、ご自身で決めていただく必要があるといった意識を、質問によって引き出していくことができるということです。
未来にフォーカスした質問
具体的な質問技法は、もうたくさん、たくさんありますが、ここでご紹介するのはブリーフセラピーという考え方を応用するものです。ブリーフセラピーのブリーフとは、believe、信じるではなくて、brief、短い、コンパクトなという意味のブリーフです。短期間でクライアントさんの問題が解決される、さまざまな心理療法の総称といわれるものです。
その中でも、今日取り上げるのは、過去の怒りと現在のしんどさだけで全ての視野が覆われていて、どうしよう、こうでもない、ああしんどい、先生、何とかしてください!となっている依頼者に対して、徹底的に未来にフォーカスした質問を立てる技法です。
例えば、「この事件が全て終わったとき、ご自身はどのような生活を送っていますか」と聞きます。弁護士が依頼者にこんなな質問をしてもいいのか?という感じになるかもしれませんが、大丈夫です。もちろん、それまでにしっかりとラポール、信頼関係を築いていく必要があるのですが、こういう質問は非常に効果を産みます。まさに質問の力です。
これは、例えば不登校のケースなどでもよく使われています。例えば、なぜ不登校になってしまったのだろう、なぜ学校に行けないのだろう、どうやったら学校に行けるんだろう、と聞くよりも、「もしこのつらい思いが全部なくなったとき、どんな生活をしていると思いますか?」と聞くわけです。これは、ご本人にも、ご家族にも使える質問です。そうすると、学校に行けているかとかそういうことではなくて、まったく違う未来、例えば、「日曜日に友達と映画に行っていると思う」「新しいスニーカーで犬と散歩しているかな」、といった、違う世界が表れてきます。ご家族の場合ならば、「昔から好きだったちぎり絵の趣味に没頭しているかも」といった答えもあり得ます。この中に「学校」というワードはありませんが、それでいいのです。つまり、そのようにご自身が描く未来の中に、必ず今の問題の解決が隠れているのだという考え方、これがブリーフセラピーの基礎になります。
これを弁護士が使う意味は結構大きいと考えています。われわれ弁護士は、何年かやっていると、あることに気が付きます。それは、どのような事件でも必ず終わるということです。他方、依頼者は、事件が終わるというイメージが案外にできていないことがあると思います。弁護士が、どのような事件でも必ず終わりが来ると知っている、それは強みであり、その強みを活かさない手はありません。
これも、ある事件の話です。実際の事例ですが、ある労働相談です。顧問先さんの紹介で何度か相談を受けることになったものの、受任の可能性はあまりなさそうなままに、ときどき相談がくる、といった感じです。話される内容としては、会社の上司と会社の文句を、あのようなことがあって、このようなことがあって、ひどいと思いませんか、と繰り返すというパターンです。取り立てて証拠はないようで、確かにつらいだろうなとこちらも思うけれども、法的には対処が難しく、ご本人も裁判にするとかそこまでは思っていない。ただ、現状を聞いてほしくて何度も電話してしまう、といった流れです。弁護士なら何度か経験しているケースではないでしょうか。
これが何度か続いたとき、ところで○さん、この事件がすっかり終わったら、Cさんはどうなっていると思いますか?と思い切って言ってみるわけです。多くの場合、「え?事件が終わったら、ですか?」と、ここで少し沈黙や、きょとんとした反応があります。しかし、ここで弁護士は焦らずに待つのです。この方の場合は、しばらくして、「アロマセラピーの上級の資格を取っていると思います。実は前から少しずつ試験を受けてきたんです」とおっしゃいました。「あとは、家をきれいに片付けたいですね」ともおっしゃいました。これは労働事件の内容自体とは関係ないですよね。上司も会社もワードとしては登場していません。
その会話の展開はこんな様子でした。
弁護士「ところで○さん、この事件がすっかり終わったら、Cさんはどうなっていると思いますか」
Cさん「え?事件が終わったら、ですか?」
弁護士「ええ、完全に終わったときに、です」
Cさん「ええー、んー・・・そうですね、アロマセラピーの上級の資格を取っていると思います。実は前から少しずつ試験を受けてきたんです」
弁護士「ええ、めっちゃいいですね、アロマセラピー上級資格ですか」
Cさん「そうなんです。あとは、家をきれいに片付けたいですね」
弁護士「そうですか、それもいいですねえ」←十分に承認する
弁護士「すると、そのときに会社のほうは?」
Cさん「その時はもう辞めています」
弁護士(内心、そうなの?!と思いつつ「そうなんですね。いつ頃にそうなっているイメージですか?」
Cさん「9月ぐらいにはそうなっていたいですね」(この時点は3月)
弁護士:(そうだったのか・・・私はこの人はずっとこうやって文句を言う人だと思っていたなあ・・・思い切って聴いてみるものだなあ・・・)。
「そうなんですか、Cさんは、現在の大変な問題に対処しながら、自分の未来をきちんと描ける力がおありなのですね」←承認
「そうなっているということは、Cさん、そこまでに何が起きていますか?」←未来からの逆算
Cさん「ん-そうですねえ、失業保険をもらっていることが実は大事かな。資格を取るにも、まず生活費を確保しないといけないので」
弁護士(めっちゃ現実的だ、すごいな、そんな思いがあるとは全然知らなかったぞ・・・)。
「いいですね、Cさんにはほんとにお力がありますね」(その他、持てる限りの承認力を発揮)
「失業保険の手続きの他に、何かやっておきたいことはありますか?」←できるだけ現実のCさんの作業を見いだしていくために。なお、「他にありますか」はマジックワードです。他にもあるかと言われると、人はさらに考える生き物です。
Cさん「そういえば、私は幾らもらえるんでしょう。失業保険といいながら、実際は幾らもらえるのかわかってないですね。急に気になってきました」
弁護士「なるほど!それはとても大事ですね。私は失業保険の仕組みは専門外なのですが、それはとても大事なところです。ハローワークで聞いてみられてははどうでしょう?」
Cさん「そうか。それが分かったら少し安心します。ところで、ハローワークはどのようにして行くのでしたっけ」←こうやって人にいろいろと聞いてこられるタイプの方なのですがハローワークの案内ぐらい簡単です。
弁護士(その場でばっとググって)「○○ハローワークがお近くのようですよ、時間は何時から何時までのようです」
Cさん「分かりました、ありがとうございます。次の火曜日に行ってみます」
と言って、Cさんは次にやってみることを自分で決めることができました。つまり、そちらに視点が移ります。
ここまでにかかった時間は6分ぐらいです。
そして、ありがとうございました、頑張ってくださいねと、お互いにすっきりと電話を切ることができます。
その後も何度かお電話はあったのですが、次第に、会社のことや部長のことはどうでもよくなってきました、とおっしゃって、だんだんと今後の話に焦点が移り、何度か会社とのもめ事はありましたけれども、結局、思ったより早く、7月に退職されました。
これは一例でが、単純に話を聞いているだけ(大変ですね、ひどい上司ですね共感するだけ)では、もっと時間がかかったような気がしますし、私と依頼者さんの両方のストレスも減ることはなかったのではないかという気もします。そういう意味で、少し切り開くようなイメージで展開できるのが、このブリーフセラピー的な質問の技法と考えています。
ほかにもいろいろな質問技法がありますが、今日はここまでということで、いったん終了とさせていただこうかと思います。ありがとうございました。
波戸岡:ありがとうございます。
人は必ずしも合理的な行動をしないという行動経済学は、最近、書店などでもだいぶ目にするようになりましたが、弁護士業務における受任時のアンカリングというお話にははっとさせられました。
次に、質問の機能に関して、ブリーフセラピーについてお話しいただきました。
徹底して未来にフォーカスするところが非常に印象的でした。そして、終わったらどうなっているのかを問い掛けてみるということ。弁護士は事件の終わりが必ず来るということを知っているということをつよみとして活用できそうです。<後半・ダイアログ編に続く>