行動と学習

波戸岡:今回は「行動と学習」というテーマですね(『コーチング・バイブル』第6章)。大門さん、お願いします。

大門:よろしくお願いします。今回のテーマは「行動と学習」ということで、今までよりも一層「何だ、これは」のように思われた方もいるかもしれないですけれども、やっていきたいと思います。

まず、「行動と学習」の「行動」ですが、行動というのは、目に見えるコーチングの成果であり、クライアントがコーチングにやってくる最大の理由であると、コーチングのバイブルには書かれています。これは何を言っているかというと、コーチングというのは、意識の変容だけではなくて現実も動かす、現実も変えていくということが目的の一つだということかと思います。
コーチングのセッションの中で、クライアントのなかにはいろいろな気付きが起こります。そして同時に意識の変容のようなものが起こることもあります。でも、それで「何かいい気持ちになった。ああ、よかった。」でおしまいになるということではなくて、「この気付きや意識の変容をもって、これからどうしていこうか」という会話になるわけです。それが「行動」というところにつながっていきます。それが現実世界で目に見えるコーチングの成果というものにつながってくると思います。

例えば、コーチングのセッションの中で、「ある人との関係で、ちょっとモヤモヤしています」という話があったとします。そして、「私はこういうことにモヤモヤしていたのだな」とセッションの中で気付いたり、「私はこのことに怒っていたのだな」とか、「私はこういう価値観を大事にしていたのだな」ということに気付いたときに、「今のセッションの中で、そういうことに気付きましたよね」と、「では、何をしてみますか」というように、コーチがクライアントに問いかけをすることがあります。
そうやって行動を促すのですよね。そうするとクライアントさんは「どうしようかな」と考えて、「では、相手の方(モヤモヤしていた関係の方)に、直接今の気持ちを伝えてみます。そして相手の方の思いもを聞いて、会話をしてみたいと思います」というような、例えばそういう行動を起こすということがあります。これがセッションを通しての一つの「行動」ということです。

次に、「行動と学習」の「学習」のほうについてもお話しします。学習というのは、行動したことによって得た学びのことを指しています。行動するまでは、そこで何が起こるかというのは分からないわけですよね。「こうなるのではないかな」という予測はあるわけですけれども、行動するまでは、何が起こるかは誰にも分からないわけです。先ほどの例で言うと、相手の方に何かを伝えたときに、相手の方は怒ってしまうかもしれないし、「そうだったのだね。自分はこう思っていたのだよ。」という深い会話ができて、信頼関係が深まることもあるのかもしれないですよね。それはやってみないと分からないことです。でも、そこで行動を起こしたことによって得た体験をもって学びが得られます。それを「学習」と言っていると理解しています。

ここで同時に書かれているのが、行動して学びを得る、そしてまた行動して学びを得る、という循環が生まれてくるということです。行動って、ある意味で言うと挑戦だと思うのです。挑戦を繰り返していくことを、クライアントさんが習慣化していくということです。この挑戦をすることによって学びを深めて、またそれに思って挑戦をするということを、どんどん繰り返していくことが、クライアントさんの人生を、クライアントさんが行きたい方向性に早く進めていくことを促進するということがあると思います。

その意味で、コーチングバイブルには、コーチの役割について、「行動を進め、学習を深める」と書かれています。これは、行動するのはクライアントさん、進めるのはコーチ、学習するのはクライアントさん、深めるというはコーチという役割分担のことかと思います。クライアントさんが行動を躊躇したりするときなどに、「大丈夫だよ、やってごらん」と背中を押してあげることだったり、クライアントさんが「こんなことがありました」と行動した際の体験のシェアをしてくれたときに、コーチが「あなたにとって、こういう気付きがあったのですね」というような対話を通して、学びを深める関わりをする、そういうところにコーチの役割というのがあるのかなと思います。

少し長めに、コーチングのセッションでの「行動と学習」のお話をしたのですが、これを弁護士業務に当てはめてみるとどうかと考えたとき、弁護士に相談に来て依頼をすること自体が、クライアントさんにとっては「行動」ですよね。
弁護士に依頼するというのは、特に個人の方でいうと、普通は人生にとっての一大事ではないでしょうか。弁護士に相談に行くということ、そして、依頼をするということって、それだけでも本当にすごい挑戦で、まさに行動だと思うのです。
いつかの勉強会で中原さんが、初めてご相談にいらした相談者様に、「『ここに来てくれたこと自体が、すごいことですよね。まず、それが本当に素晴らしいことですよね、頑張りましたよね』と承認をされる」というようなお話をされていたかと思います。本当にそうで、むしろ行動を起こされている、それにご一緒するという体験を、私たち弁護士というのはさせてもらっている、クライアントさんの行動を一緒に体験するというところにいるのかなと、そういう風に思ったりもしました。

「行動と学習」ということを、弁護士業務で言うと、例えばこういう場面ってあると思うのです。
夫のモラハラに悩んでいる女性の離婚相談を例に挙げてみます。具体的には、「夫の言動がひどくてつらいので、離婚を考えています。でも、子どももいるので、まだ離婚の意思が固まったわけではないのです。ただ、離婚するという場合の情報などを、あらかじめ得ておきたいです。」というご相談があったとします。
このようなご相談のときに、弁護士の方から「『あなたからそういう言い方をされると、すごく辛い気持ちになるので、そういうことを言わないでほしい』とか、そういうことをパートナーの方に伝えたことはあるのですか」と質問をします。そうするとご相談者様から「言っても無駄だと思って、言ったことはあんまりないですね」というようなこともあると思います。
そうしたときに、弁護士の方から、「では、まだ離婚するか迷っていらっしゃるのでしたら、きちんと話してみたらどうですか。『自分はそういうことを言われると悲しい』とか『そういうふうに言われると、すごく萎縮してしまう』とか『こういうことを言われると、自分は怒ってしまうから、別の言い方にして欲しい』とか、そういうことをまずはお伝えして話をしてみたらどうですか」というようなことをお伝えして、「では、家に帰って夫と話してみます」というように帰られることです。このようなご経験がある方も少なからずいらっしゃると思うのです。

これも多分「行動を進める」という関わりの一つなのかなと思います。「まず、それをトライしてみたらどうですか」と提案して、「やります」とご相談者様が決めて帰られる。そして、また数カ月後にこのご相談者様が再度ご相談にいらっしゃることがありますよね。そして、「夫と話してみたのですが、聞く耳を持ってもらえず、全然駄目でした」と。そのときに弁護士から、「パートナーの方に話してみたことは、あなたにとってどのような体験でしたか。どんなことに気付きましたか」とお聞きすると、「私の心の痛みに寄り添ってくれるということは全然ないなということがよく分かりました」であるとか、「もはや一緒にいたくないなと思いました」であるとか、「私は自由を求めているのだなということに、本当にすっかり気付きました」というようなことをおっしゃる場合というのもあるわけですよね。

やってみてどうだったかというのをシェアしていただいて、「そうなのですね、こういうことに気付いたのですね」と、ご相談者様にそれを言語化していただいて、一緒に対話(相談)の中で深めていくというのが、学びを深める(学習)なのではないかと思います。その上で、ご相談者様が離婚を決断して、それを行動として進めていくというのを、ご依頼いただいて弁護士業務としてサポートさせていただくということ、皆さんもご経験があるのかなと思います。なので、弁護士は、そういう意味で言うと「行動と学習」を常にご一緒しているというようなところがある職業なのではないかなと思ったりもします。

弁護士によって、いろいろなスタンスや価値観があると思うのですね。弁護士は、とにかく最良の方針を指し示すのが弁護士の役割であるという、それがプロだという考え方の方もいて、それもそれで私は力強くて素晴らしいなと思います。
他方で、クライアントが納得のいくプロセスを歩むということを、私は個人的には大切にしていて、なぜなら、プロセスにはクライアントさんにとっての「学び」があると思うのですよね。だから例えば、弁護士としては、相談を受けて「この件は、放置するとお金の支払を受けられなくなるから、すぐに仮差押をしたほうがいいのではないか」とか、「一刻も早く法的手続きをとったほうがいいのではないか」と、考えることがあると思います。でも、そういうときでも、クライアントさんによっては、「相手との関係性があるから、まず話し合ってほしいのです」とおっしゃる方もいますよね。
客観的事情から合理的に考えると、法的手続きをとることが正解のように見えたときに、弁護士としてどこまでこの方針を強く勧めるかどうかというのは、やはり弁護士ごとのスタンスや価値感によるのかなと思います。ただ、個人的には、私たち弁護士から見ると道草のように見えるかもしれないことであっても、やはりクライアントさんが納得のいくプロセスを踏むということが、クライアントさんにとっては大事だということもあるのかなと思っています。
そのため、行動していったん話し合って、そこで「やはり駄目なのだ」ということを学んで、「では、次の行動に進みましょう」というような一つのプロセスが必要かどうかは、クライアントさんとの対話(相談)の中で作っていくということが、私は大事なことなのかなと思ったりもしています。

また、視点を変えて、この「行動と学習」というのは、働くメンバーとの関わりの中でも、結構生きてくるのではないかと思います。ですから、「こういうところに悩んでいます」という後輩弁護士さんとか、事務員の方がいらっしゃったときに、「では、こういうことをしてみたらどうですか?」であるとか、そういうアドバイスをしながら、「やってみてどうでしたか?」、「そうなんですね。そういうことがあったのですね」「では、この経験から得た学びはなんでしょうか」「どのような気付きがありましたか」ということを対話を通して、学びを深めるかかわりを持つということも、効果があることなのかなと思います。

さて、さらに話を進めまして、コーチングバイブルでは、この「行動と学習」をサポートするのに大事なコーチの在り方として、4つ紹介されています。それは、「ありのまま」、「つながり」、「生き生き感」、「思い切り」です。この4つが、コーチの側、つまり聴き手として関わる側にあるといいのではないかということで紹介されています。

まず、「ありのまま」というのは、コーチが本当にありのままでいるということ自体が、より深い信頼関係を作り出すのだよということですよね。何を言っているかというと、「360度善人」というような、何も非の打ちどころもない人としてクライアントさんと対峙するのではなくて、ユニークで凸凹のある1人の人間として関わるということが大事で、そういう「善人であろう」というような肩の力の入り具合というのは別に大事ではないのですよと、ありのままの自分として背中を押す、「何があっても大丈夫!」と、背中を押してあげること。繕うのではなくて、ありのままの自分を体現するということが、聴き手としてクライアントに影響を及ぼし勇気づけるということになってくるのではないかということが書かれていると思います。

私もプロのコーチの資格を取るときに、「私はコーチになるほどいい人間ではない」ということが、一つの悩みでした。コーチというと、「善人」「できた人間」というような、「悪いことなど何もしない人」というように思っていた部分がありました。しかし、そんな必要はないのだなと今は思います。
私は今でも、人に嫉妬したり、面白くないなと思ったりすることもあります。怒ってしまってイライラすることもありますが、「自分は今そう感じているのだな」とただ受け入れいています。ありのままの自分で、「あの人は嫌いだ」と感じたときに、「嫌いでも、まぁいいか」と思っています。善人であろうとする必要はない、凸凹のあるユニークな人間だからこそ、目の前のクライアントを勇気づけられることがある、ということが書かれていると思います。

次は「つながり」ですね。「つながり」というのは、強い信頼関係のことを言っていると思います。これはなぜ必要かというと、聴く側というのは、ただ耳障りのいいことを言う存在ではないですよね。ときには厳しいことをお伝えするということも必要になります。それは弁護士とクライアントの関係でも同じだと思っています。例えば先ほどのモラハラのご相談のときでも、「モラハラが違法かどうかということは、別の次元の話として話をするけれども」というところで前置きした上で、「関係性というのは一人で作れるものではないから、主従というような、やり込められてしまうような関係性を、もしかしたら繰り返していないですか。従ったほうが楽だというようなことではなくて、自分も大切にするという文脈で、『これはノーだよ』、『私は、こう言われると嫌な気持ちがするよ』というようなことを、今後誰かとの関係性を築くに当たって、もう変化が困難な関係性になる前にきちんと伝えるということを、やっていったほうがいいのではないでしょうか」というようなことです。

クライアントさんにとっては耳障りが良くないですし、かなり踏み込んだ話になりますけれども、クライアントさんがこれからの人生を、より自由で幸せな人生を歩んでいくために、感じたことを願いから伝えるということです。このようなことも、クライアントさんにとって貢献になると思えば、伝えることもあってよいと思います。しかしながら、そのときに深い信頼関係がないと、「あなたに何がわかるというのか。なぜあなたに、こんなことを言われなければいけないのか。やっぱり弁護士って偉そう」というような受け止め方になってしまいます。ですので、厳しい言葉は、やはり深い信頼関係があるからこそ受け止めてくれるということがあると思います。
今私がお話ししたような踏み込んだ話は、クライアントさんが受け止めてくれるかどうかというのを、弁護士は注意深く見極めながら話をしなければいけないと思うし、そういう意味で信頼関係というのを作っていくというのが、すごく大事なことだと思います。ですから、コーチングバイブルでも「つながり」というのがすごく大事だと書かれていると思います。

次に「生き生き感」というところです。コーチングには「doing」と「being」があって、在り方は「being」ですよというように書かれていますね。生き生きとした環境の中でセッションをしましょう、聴く側とクライアントの間にある空気感や雰囲気というのを指します、というように書かれています。
生き生き感というのは、元気で喜びに溢れた状態ということだけではなくて、場合によっては居心地が悪い状況も含めて、例えば耳障りの良くないようなことを言ったときに沈黙したり、クライアントさんがイライラしているというようなときであっても、今この瞬間に聴く側とクライアントの意識があるという状態であれば、生き生きしていると考えていいと思います。それも必要な対話の中のプロセスだったりもします。聴き手から言われて、「自分は今感情的になっているな」というのを、クライアントが体験するということが、やはり学びにつながったり、気付きにつながったりするということがあり、ここではそういうことを言っているのかなと思います。

それから最後ですね、「思い切り」というところです。「思い切り」というのは、クライアントさんが本当に望むことを手にするために、聴く側がどのぐらい思い切った関わりをする覚悟があるか、クライアントさんのために、どれほど勇気を振り起こす覚悟があるかということですよね。これは本当にリスクを取って、もしかすると嫌われてしまって契約を解除されるかもしれない、それでもクライアントさんが望むもの、望む生き方を手に入れるためには、言わなければいけないということってあると思うのですよね。これはコーチとクライアントの関係だけではなくても、弁護士としてもあると思うのですよね。
例えば皆さんも多分ご経験が一度はあると思うのですが、クライアントさんが「相手がずる過ぎる、証拠を隠すし、うそばかり言っているから、私もうそをつきます、証拠も隠したいです」というようなことを言われた経験が、もしかしたらあるかもしれません。
そのときに弁護士として、「弁護士は、弁護士職務基本規定により、うそをついてはいけないきまりなのです。」ということは言えると思います。ですがここでもう一歩踏み込んで、「私は本当に悲しいです。これまでのお付き合いを通して、あなたが本来そういうことをしたいとは思っていない人だというのを私は知っています。なにがあなたをそのように言わせているのでしょうか。もう少し聞かせてもらえませんか」と言うこともできると思います。「きまりだからそれはできない」と言うのは簡単ですが、「私は一人の人間として、今こういうふうに感じている」であるとか、「本当にあなたはそんなことをしたいと思っているのでしょうか」と対峙する場面です。

クライアントさんは怒ってしまうかもしれない。「全然従わない弁護士だな」と嫌われてしまうかもしれない。でも、私たちの仕事は、クライアントさんに対して本質的に貢献することだと思うからこそ、場合によっては、そのように一歩踏み込んでクライアントさんに関わるということが、クライアントさんにとってより大きな貢献にある場面もあるのかなと思います。そういう意味で、思い切って関わるということが、この「行動と学習」には必要になってきますよというようなお話だと思います。

今回は(今回も?)、大分私の解釈も入ってのレクチャーになってしまいましたが、今日はここでレクチャーを終わらせていただいて、あとは皆さんでシェアの時間にさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

波戸岡:ありがとうございます。「行動と学習」の内容と、それを弁護士業務にどう生かすのかとの架け橋となるのが、この会の意味ですね。そこを大門さんが見事にレクチャーしていただいて、本当に勉強になります。ありがとうございます。

前半が、行動を進め学習を深める、行動を進めてその行動から学びを得るのだという「行動と学習」のつながり、そこに弁護士がどう関わっていくかというところを話していただきました。もしかしたら僕たちは、法律相談をしたときに、アドバイスで終わるか、受任までいくか、その二択になっていたかもしれないです。
けれども、受任しなかったとしても、単なるその場のアドバイスで終わるのではなく、クライアントさんのその後の行動にどう関わるのか、そしてその行動からクライアントさんは何を学ぶのか、どう成長して変化を起こしていくのかというところに、弁護士としてあるいはコーチとして関わっていくということの意義と大切さを学ぶことができました。

次に各論では、大門さんが特に注目したい所として、4つの属性、「ありのまま」「つながり」「生き生き感」「思い切り」をピックアップしてもらいました。
言葉だけ見ると一体どういうことだろうと思うのですけれども、大門さんの話を聞くと、「なるほど、そういうことか」と思うことが多かったですね。この勉強会でもよく話題にある「在り方」、それを一つ一つかみ砕いていくと、「そういう関わり方なのか」という気付きのある、非常に学びが多いところだと思います。

さて、この章の中で、「失敗は祝福」という箇所があるのですが、中原さん、木葉さんは、コーチングとの関わりで「失敗は祝福」について、いかがでしょうか。

中原:はい。失敗は行動した人にだけ与えられるものだということを強調したいですね。
私が思うに、人には4つの権利があります。一つ目は「夢を描く権利」。どんな人でも自由に夢を描くことができる。次に、その夢に向かって「踏み出す権利」。そして、踏み出したら躓きもありますから、「サポートされる権利」があります。サポートされる権利の意識が弱いと、抱え込んだり人に頼れなくなるかもしれません。そしてその後に必ず「失敗を許される権利」があります。失敗したら再チャレンジしてもいいし、また新しい夢を描いてもいい。失敗は大切な権利なのです。これは自分がひとつ踏み出したからこそ得られる宝物であるということを、改めてみなさんの話を聞いて感じていたところです。ちなみに、私自身は失敗を怖がる、権利意識薄目のほうなので(笑)、自分に対する声がけでもあります。この機会をありがとうございます。

波戸岡:なるほど、失敗は権利でもあるのですね。勇気がわきます!木葉さんは、いかがですか。

木葉:皆さんの中にもいらっしゃるのではないかと思うのですが、私はこれまでの人生、失敗をなるべくしないように、と「失敗を祝福」の正反対の人生を生きてきました。ただ、失敗をなるべくしないように、としていても、弁護士業務を行う中で、自分の想定どおりにいかないな、ということはたくさんあるわけです。

これはコーチングのスクールでも習ったことなのですが、「『自分の想定どおりにいかないな』と思ったら、ちょっと落ち着いて、その場に何があるかを見てみよう」と言われたことがあります。「その場でしか学習できないことが、そこにあるはずだ、そこはすごく豊かな場なのだ」ということを言われました。
以前は私は、自分の想定どおりにいかないと、「そこから早く抜け出したい」ともがいていましたが、今は「その場に何があるのだろう」ということをできるだけ俯瞰してみるようになりました。「ここで私は何が学べるのだろう」というところを落ち着いて俯瞰してみて、「では、次はどうするかな」と循環させるように心がけるようになってから、自分の想定どおりにいかない状況も、価値ある経験のひとつであるととらえるようになりました。

弁護士が、「失敗」についてどのような考え方をしているか、ということは、依頼者との接し方にも現れると思います。自分の失敗を許容できない場合、他人の失敗も許容できなくなってしまう傾向があるとも思っています。依頼者、特に責任感が強い方の場合、失敗してしまったとご自身をずっと責めておられる方もいらっしゃるので、そんな時に、弁護士も失敗を暗に責めるような接し方をするのではなく、「そこでもあなたはきっと何かを学んで成長することができる、あなたにはもともとその力がある」という接し方ができるように心がけたいと思っています。

波戸岡:なるほど、身につまされます。大門さんは、いかがですか。

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